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My favorite Destination 014 : Mendips - childhood home of John Lennon

◉Woolton, Liverpool, Merseyside, UK/リヴァプール、イギリス

ジョン・レノンが暮らしたリヴァプールの家メンディップス

ジョンが暮らしたことを示すブループラークのあるメンディップス
ジョンが暮らしたことを示すブループラークのあるメンディップス

◉ポールと友情を育んだミミ伯母さんの家

ジョン・レノン(1940.10.9 - 1980.12.8.)は両親が離婚した後、5歳の時(1945年)に母ジュリアの姉のメリー(ミミ伯母さん)と夫のジョージ・スミスに引き取られる。ジョンが幼少の時から暮らし始めた家が、リヴァプール郊外ウールトンのベールロードとメンローブ・アベニューの角の近くに立っているメンディップスである。

メンディップスは閑静な住宅街のセミ・デタッチドの持ち家であり、小さいながらも庭もある。労働者階級出身のジョンというイメージでここを訪れると、違和感を抱くかもしれない。この場所でジョンはポール・マッカートニーと一緒に演奏したり、曲作りに励んだ。二階にあるジョンの部屋、ボーカルにリバーブがかかるからと、好んで練習したポーチもそのままだ。メンディップスはふたりが友情を育んだ場所なのだ。

広い窓から外光が差し込み心地の良いモーニングルーム
広い窓から外光が差し込み心地の良いモーニングルーム
明るく清潔なキッチン
明るく清潔なキッチン
2階にあるミミ伯母さんの部屋
2階にあるミミ伯母さんの部屋
入口から覗いたジョンの部屋
入口から覗いたジョンの部屋
窓辺に置かれた机。窓外にはジョンの見慣れた風景が広がる
窓辺に置かれた机。窓外にはジョンの見慣れた風景が広がる

◉メンディップス/Mendips

⚫︎251 Menlove Anenue, LIVERPOOL

メンディップスが2002年売りに出されたとき、ヨーコ・オノ・レオンが購入し、ナショナル・トラストに寄贈しました。ジョンが暮らしていた1950年代の内装が再現され、翌2003年から公開されています。ファンなら一度は訪れてみたい場所だと思います。本来内観は撮影禁止ですが、特別に許可をいただいて撮影しています。私のお気に入りは2階のジョンの部屋の窓からの風景です。この窓から同じ風景を見ていたかと思うと感慨深いものがありました。ボブ・ディランも来訪しているとか。

外観の写真をご覧になると分わかりますが、メンディップスは英国の郊外によくある、一つの壁を共有して2軒が建つセミデタッチドタイプの家です。ジョン・レノンが暮らしたのは、著名人が暮らしたり、歴史的な出来事があった場所に表示されるブループラークのある左側の家です。

◎後述するポール・マッカートニーの家と一緒に巡るツアーがあります。

Beatles Childhood Homes | National Trust

Mendips & 20 Forthlin Road | VISIT LIVERPOOL


◉ジョンとポールの運命の出会い

運命の1957.7.6。「THE BEATLES STORY」の展示から
運命の1957.7.6。「THE BEATLES STORY」の展示から

運命の1957年7月6日は、セント・ピーターズ教会50年とリヴァプール創設750周年を祝う祭りの日だった。午後のガーデンパーティで、ジョンはクォーリーメンとして教会の庭に設けられたステージで演奏を行っていた。ポールが会場に顔を出すと、ステージで怪しいギターコードで演奏しながら、うろ覚えの歌詞で歌うジョンに目が留まる。ポールはジョンの演奏にテクニック以前のパワーを強く感じていた。ミミ叔母さんが“騒音の大噴火”と評した演奏の後、教会のホールでジョンとポールは出会う。その日、ポールはジョンに正しいギターのチューニング法やコードを教え、正しい歌詞を書き写してあげている。その1週間後にポールはクオリーメンに誘われメンバーとなる。


 ◉映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

ジョン・レノンは幼少期から18年にわたり、ミミおばさんの家メンディップスで暮らした。本作で描かれるジョンは、そこで過ごした時期とほぼ重なる。両親から見放された恵まれない生い立ちとはいえ、彼には音楽があり、仲間がいた。運命的なポール・マッカートニーとの出会いや母親との悲しい別れ…史実に基づいて数々のエピソードが描かれる。

◎原題:Nowhere Boy /イギリス映画/2009年

◎監督:サム・テイラー=ウッド

◎出演:アーロン・ジョンソン、アンヌ=マリー・ダフ、クリスティン・スコット・トーマス 


◉ジョン・レノンの家 Mendips

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◉ジョンの思い出の場所、Strawberry Field

メンディップスにほど近い場所に、救世軍の孤児院ストロベリー・フィールド(曲名は複数形だが、孤児院の名称は単数のField)があった。1967年2月に『Penny Lane』との両A面シングルとして発売された『Strawberry Fields Forever』で有名になった。その門がいまも残され、ファンの聖地となっている。赤い門扉は保護のため(盗難事件が発生したこともあってか)、2011年にレプリカの門扉に取り替えられたようだ。次の写真は2007年に撮影したもの。

ビートルズファンのリヴァプールにおける聖地のひとつストロベリーフィールドの門
ビートルズファンのリヴァプールにおける聖地のひとつストロベリーフィールドの門
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◉ポール・マッカートニーの家 / 20 Forthlin Road

メンディップスからほど近いアラートンの20フォースリン・ロードが、ポールの家である。1955年ポールは、両親と弟のマイケルとともにこの市営の集合住宅に移り住んだ。13歳から8年間暮らした場所で、ビートルズ初期の曲作りやリハーサルが行われた場所でもある。ラヴ・ミー・ドゥー』や『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』が生み出されている。メンディップス同様にナショナル・トラストによって管理されている。

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◉すべてが始まった場所、セント・ピーターズ教会ホール

1957年7月6日、演奏の後ジョンとポールは共通の友人アイヴァン・ヴォーンを介して、セント・ピーターズ教会のホールで出会う。

そして、すべてがここから始まった。

ジョンとポールの初めての出会い40周年を記念して、ホール壁面に掲げられたプレート
ジョンとポールの初めての出会い40周年を記念して、ホール壁面に掲げられたプレート
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