◉Batalha, PORTUGAL/バターリャ、ポルトガル
聖母マリアに捧げられた修道院。未完の礼拝堂に魅せられて
◉ジョアン1世が建立した勝利の聖母マリア修道院
バターリャ修道院の正式名は勝利の聖母マリア修道院である。ポルトガル語の「バターリャbatalha(英語のバトルbattle)」は「戦い」を意味しする。その名の由来は、1385年8月14日、ジョアン1世率いるポルトガルの軍隊とスペインのカスティーリャ軍が、王位継承問題を巡り争った「アルジュバロータの戦い(Batalha de Aljubarrota)」にある。数的優位に立つカスティーリャ軍に対して奇跡的な勝利をもたらした聖母マリアに感謝して、<勝利の聖母マリア修道院>は国王ジョアン1世の命で建造された。
修道院に入ると右手に創設者の礼拝堂があり、ジョアン1世の家族の墓所となっている。中央にジョアン1世と王妃の棺があり、それを取り巻くようにエンリケ航海王子ら4人の王子が眠っている。
1388年に始まった修道院建設は、何人かの建築家に引き継がれ16世紀の初頭まで続けられた。その結果、ポルトガル・ゴシックとマヌエル様式が混在し、独特の調和を生み出している。王の回廊は、初代建築家アフォンソ・ドミンゲスが建設したゴシック様式の回廊に、リスボンのジェロニモス修道院の回廊(1階)を手がけたディオゴ・ボイタックによって、マヌエル様式の装飾が施されている。
未完の礼拝堂は、ジョアン1世の息子のドゥアルテ1世の命でドミンゲスの後を継ぐダヴィ・ウゲットにより着工された。その後100年ほど工事が続けられたが、未完に終わっている。1521年に即位したジョアン3世がジェロニモス修道院の建築に集中させるために、バターリャ礼拝堂の建設を中止したという説や設計上のミスという説もある。それでも、その緻密で美しい装飾は人々を魅了し続けている。
Batalha
◉バターリャ修道院/Mosteiro de Batalha
(Mosteiro de Santa Maria da Vitória)
Largo Infante Dom Henrique, 2440-109 Batalha
◎アクセス
⚫︎リスボン、セッテ・リオス・バスターミナルから約2時間
⚫︎アルコバサから、テージョ社のバスで約30分。
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